「生きる」(谷川俊太郎 詩 岡本よしろう 絵 2013年9月1日月刊「たくさんのふしぎ」2013年年9月号発刊 2017年3月5日初版発行 福音館書店)
この絵本は、現代詩の巨匠谷川俊太郎さんの詩に岡本よしろうさんが絵をつけたものである。谷川俊太郎さんは、我が勤務校の校歌の作詞者である。ご存知の方も多いかもしれないが、私は小学校の教員である。「生きる」は、光村図書の国語の教科書の6年生最後の単元で取り上げられている教材である。このことから、今回は絵本専門士、JPIC読書アドバイザーの立場に加えて小学校の教員の立場を加えて紹介してみたい。
「生きる」は5連から成る詩である。それぞれの連の最初には、「生きているということ」「いま生きているということ」の2行が反復されている。この2行は、繰り返し声に出して読みたいところである。声に出して読むことは、黙読するだけではわからない言葉の響きを感じることである。6年生にとって最後の国語の学習でこの詩を音読することは、6年間の学習の集大成としての大切な“いま”だと思うのだ。この詩がもつ意味、谷川俊太郎さんからのメッセージを各々が解釈し捉えることができれば素晴らしい。ともすれば当たり前だと思っている日常の尊さを感じたり、様々な感情、美しいもの、あるいは一見無関係のように錯覚しがちな他者との関わりに気づいたりできるかもしれない。いや、そうあってほしい。また、忘れてはならないのは、この詩の中に出てくるものは美しいものや喜びだけではないということだ。「かくされた悪を注意深くこばむこと」「兵士が傷つくということ。」等の言葉から子どもなりに感じることがあるだろう。また、5連では、「鳥ははばたくということ」「海はとどろくということ」「かたつむりははうということ」「人は愛するということ」といった言葉がでてくる。「鳥が・・」ではない。「海が・・・」ではないのだ。そこで、子ども達には、自分はどうなのかということを、「わたしは・・・」「ぼくは・・・」という観点で考えさせたい。6年生の子どもが読むという視点でここまで綴ったが、絵本を読む上ではそれぞれの年齢での感じ方があるだろうし、もっと気楽に読む中でも感じられることがあるはずだ。
詩だけに着目してしまったが、これは絵本紹介のページである。絵を描かれたた岡本よしろうさんは、武蔵野美術大学油絵学科をご卒業され、絵画のみならず立体・動画・インスタレーションまで幅広く創作活動を行っておられる。本作の絵は、どこか懐かしさを感じるような筆致になっており、言葉だけでななく、そこから想像される“日常”を丁寧に描いておられるのが大変魅力的だ。きっと見る人の数だけその絵の中に気づきがあるだろうし、繰り返し“絵を読む”醍醐味がある絵本である。そして、絵の中には“いま”がある。“いま”は“いま”の積み重ねであるが、“いま”は“いま”しかないこと、絵の中でも時間の経過を感じられるシーンが散りばめられている。“いま”の集積が“生きているということ”なのだろうか。そして、タイトルは“生きる”である。このタイトルには普遍性を感じる。最後の一文は、「いのちということ」という言葉で締めくくられている。これがどんな意味をもつのか、どう捉えるのかは読者に委ねられているのかもしれない。
最後に、絵本の帯文を紹介しておきたい。
ーそこで何が起こっていても、誰が何をしていても、その短い時間の中に〈永遠〉をはらんでいるー
谷川俊太郎