一定の年齢層においての岡本太郎像は、「芸術は爆発だ!」のイメージが強烈であり、そして、多くの人は「太陽の塔」の岡本太郎というほんの一面のイメージしかないかもしれない。恥ずかしながら私自身も同じようなものだ。だから、そんな私が本書の書評をするなんていうことは僭越甚だしいのは百も承知の上である。昨夏、大阪の中の島美術館で開催された「岡本太郎展」があまりにも強烈な印象が残り、頭の中が整理できないでいる時に手に取ったのが本書である。
岡本太郎に造詣が深い人からはあまりに私自身が無知で叱られそうであるが、戦地での強烈な体験、その後のフランスでの前衛芸術活動の参画、また、帰国してからは各地を訪れて数多くの写真、論評を残しているのだ。そして、1970年の万国博覧会のテーマプロデューサーに就任したのだ。その後の「芸術は爆発だ!」に繋がるわけである。どうしてもその一面がクローズアップされて、変わったおじさんというイメージがこびりついてしまったようだ。
しかし、本書を読み進めると、確かに変わった(リスペクトの意を込めて)人であることが違わないことはわかる。ある意味狂気でもある。幼少期のエピソードから連綿と繋がるのだが、強烈なまでの純粋さ、ひりひりと痛くなるような純粋さ、研ぎ澄まされたナイフのような純粋さ、つまり、人間岡本太郎、職業人間ということが読者に痛烈に突きつけられるのだ。
第1章「それでも生きていく」では、「人生即闘いだ。」という一文から始まる。そして、こうも綴られている。「ふりかかってくる災いは、あたかも恋人を抱き入れるように受け入れる。それが人間のノーブレス(高貴)だ。」そして、第2章「他人の眼をきにするな」第3章「生きることが芸術だ」の3章立てて構成されている。それぞれの章の中に多くの小見出しが付けられた文章があるので、読みやすくはなっている。読みやすくなっているのだが、しかし、そう簡単ではない。彼の用いる語彙と文脈を是非体験して頂きたい。私自身、一通り読んだ後は、何度も開いたページを繰り返し読んでいる。また、違うページを開いての繰り返しだ。内容によっては、理解に苦しむかもしれないし、あるいはアンチの気持ちをもつ人もいるだろう。それでいいのだと思う。岡本太郎自身も万人に受け入れられようとなんて思ってもいない。むしろ、その逆だと思うのだ。しかし、どこかで、憧憬の念を抱いてしまうことは否めない。手元に置いて何度でも読むのに向いている1冊かもしれない。(JPIC読書アドバイザー)