「南アルプス山岳救助隊K-9 それぞれの山」樋口明雄 徳間文庫 書評

書評

 本書は、樋口明雄の大人気シリーズ「南アルプス山岳救助隊K-9」の11冊目となる。国内2位の高峰である北岳を舞台とした山岳救助犬とそのハンドラー達の活躍が描かれている。このシリーズを愛読されている方にとっては、もはや実在する救助隊、救助犬のような親しみをもち、心底応援する気持ちでページをテンポよく捲らせてくれる。架空の救助隊でありフィクションではあるのだが、これほどまでにリアルに感じられるのは、筆者である樋口明雄が入念な取材はもとより、正しくこの小説の舞台を自らのフィールドとしており、更には自ら犬とともに暮らし、環境問題に取り組んでいるというバックグランドがあるからなのだ。

 さて、今回は2編の中編により構成されている。まず1編目である、「リタイヤ」は、かつてのシリーズに登場したアイドル歌手が再び登場する。また、傍若無人であるがどこか憎めない古参の小説家が登場し、前述のアイドル歌手とひょんなことから2人で北岳の頂きを目指すことになる。全く相容れない2人だが、それぞれが抱えているなやみや葛藤が、歩を進めるごとに、頂きが近くなるごとに醸し出されていく様は、まるで一歩一歩一緒に山道を進んでいくようである。しかし、それだけで終わらないのが樋口作品である。何が起こるのか、そして、2人は?もちろん、主人公である山岳救助隊の夏実と山岳救助犬のボーダーコリーのメイが果たす役割は大きい。

 もう1編「孤高の果て」は、「あんたらが、息子を殺したんだ。」という言葉から物語が始まる。単独行で遭難し、大学生が亡くなってしまったのだ。無論、救助隊は自らの危険を冒しながらの懸命の救助活動の結果である。この言葉通り、不穏な空気を打ち消すことはできない。全くの逆恨みなのだが、なんと救助隊と救助隊員個人までもが訴えられてしまうのだ。ここから一気に物語は進行し、エンターテインメント小説の様相を呈する。ページを捲る手は加速していくはずだ。しかし、樋口作品は単なるエンターテインメント作品ではない。勿論、優れた山岳小説であることは言うまでもないが、様々な形態を駆使しながら、描かれているのはやはり人間そのものなのだ。それぞれの登場人物が実は抱えている背景。誰もが人知れずもっている哀しさ。これら、人の心を丁寧に描いているからこそ、ここまでシリーズが続き人気を博しているのだろう。

 今回の「それぞれの山」は、シンプルな題名こそぴったりな内容であり、やはり読者を裏切ることはない。あと、付け加えておきたいのは、樋口作品では他のシリーズの登場人物が互いにうまく関わってくる。勿論、シリーズや他の作品を読んでいなくても十分に楽しめる。だが、それぞれの登場人物がより一層身近に感じられてくる。そういった意味でも他の作品もおすすめだ。

タイトルとURLをコピーしました