主人公である玉青は30歳。派遣社員として働いている。学生時代の先輩である青島とも交際し、一見どこにでもいるある意味普通の大人の女性である。しかし、その内実はそうではないのだ。人には打ち明けられない悩みを抱え、頼るべき親兄弟や友人もいない。何のために生きているのか、そんな空虚な思いを抱えながらの日々を過ごす中で、夢か現実か定かでない体験の中で、洋海に出会う。洋海とは?そこから彼女の人生が新たな方向へと動き出すのである。“人を信じるということ”、“生きるということ”、そのことの意味が、玉青、そして洋海からも読者へ投げかけられるのだ。二人を取り巻く奈央、青島、由紀之等の登場人物との関わりも忘れてはならない。ミテリアスな物語は、いつしか人生の再生の物語となり、心温かな様相を呈してくるのだ。初出は「読書プレミアム」(2018年6月1日~12月24日)また、単行本「トランスファー」2019年6月中央公論社刊に加筆修正し、改題したのが本書である。
このような物語を紡いだ筆者中江有里。これは全くの私見であるが玉青を想像すると、いや、想像なんてしなくても玉青=中江有里のイメージが思い浮かんでくるのだ。この感覚はこれからの読者に委ねられなければならないだろう。ご存知の方も多いだろうが、中江有里は元々アイドル歌手であり、俳優である。数多くの映画やテレビドラマなどにも出演されている。加えて報道番組のコメンテーターや書籍紹介、脚本、書評なども手掛け、更には自ら多くの小説を発表されているのだ。読書量は相当なものらしい。本作からも感じられるように、彼女自身が、人を信じること、生きると言うことに真正面から真摯に向き合っておられることを感じるのは私だけはないだろう。
巻末には、作詞家の松井五郎氏との対談が掲載され、更には、著者ご自身による、本書冒頭部分の朗読にQRコードからアクセスできるという、何とも贅沢な1冊ではなかろうか。